2020/10/04 22:30


「キっこキってます」

ある日、まだ若い女の人にその話をしたら

「ええ~かわいそう、、、じゃありませんか?」

そのときは「うん、おらもキりたくない」と言った。

なぜ、それでもキるのかと問われれば

これ以上、キらないためだ。

現代林業は、国の補助によって大型機械化が進んだ。

補助を受けずとも、その基盤によって現れた市場で生計を立てるには、よっぽどの人手がない限り機械化は避けられない。

人件費と機械の維持費のために圧倒的速さでキがなぎ倒されていく。

そのキは、ほとんど砕かれて紙になる。

大多数の国民から秘密裏に称えられる大麻草があればこの問題は即刻に解決されるが、大麻以外の繊維植物さえ無視するわれわれ現代人は、もはやその観察力も技も失った。

徳のある地元のじさまが、大麻とは違う繊維植物(アサ)を手にとり言った。

「神様はまだ見捨てちゃいないのだ」

そう、見捨てているのはわれわれのほう。

これは”大麻”と象徴された精神性や思想、あるいは生活様式の放棄だ。
だからといってそれを都合よく利用し、未だに国民を牢に閉じ込め独占するような同じ人間とは思えない立ち振る舞いを続ける人たちが存在する限り、あえてそこに戻る必要もない。

なんだってわれわれの手で、一からはじめられる。
われわれは心から喜べることに、われわれの意思で両手をあげてバンザイをする。

破壊して喰いつくす利権も政治も企業も勝手に腐り、われわれが今からはじめることこそ再生される新たな文明のイシズイェとなる。


山林の皆伐は木質バイオマス発電によって、近年さらに加速した。

最悪は、その山にソーラーパネルが敷き詰められ、何十年後には誰も処分できないゴミの山と化す。

発電された電気は地元で使われることもなく、膨大なロスを経て大都会に送られている。

山に切り捨てられたキで、何軒の国産無垢材を使った家が建つだろう。

小枝でどれだけ煮炊きでき、蔓や樹皮でどれだけ籠を編み物を結えるだろう。

美味しいキノコや山菜や木の実がどれぐらい食べられるだろう。

ひとつの山でどれほどの人たちが自由に豊かで健康的に暮らし、火を囲み歌い踊りながら暮らせるだろう。

清らかな水は山から流れる。

豊かな土は山で育まれる。

山を破壊することは、最も愚かなことのひとつだ。

命を削ってまでそんな社会の役に立つ理由はない。

家も服も食い物にも誰ひとり困らなくていい。

心から好きなことをやって楽しく生きるために産まれくるひとつひとつの命だ。


わたしがキっこをキるのは、それらに終止符を打つため。


たまに草をむしれば、自分が神様のように錯覚することがある。

山に入れば、わたしは一匹のアリだ。

わからないということの他に、わかることなどひとつもない。

だからそこには、最大限の心地良さだけを残して去ろう。