2021/04/06 22:12
市場に出品した原木は、一本も売れなかった。
苦労して集めたものだから売れないのなら自分で製材してやろうと思っていたが、ぜんぶ炭にしてしまおうかとも思いはじめている。
もったいない、の一言だ。
情けない、の二言めも足しておこう。
閃きやアイデアは誰にでもあるし、木の使い道はいくらでも考えられるが、それを実現していくには一人のチカラでは無理がある。
山主ならそれは可能だが、そうではない。
木を加工する暇があるなら、山を片付けるほうを優先せざるを得ない。
そして遠くにあるかもしれない1000円を探すより、目の前に落ちている50円をひたすらに拾っていく。
何にも活かせない蔓を刻むたびに、涙がにじむようだ。
この一本のすごさが分かるだけに悔しい。
今の世間では、家づくりに蔓が必要だなんて理屈はまったく通用しない。
だからなんだ?切ったのは誰だ?文句を言うならはじめっからやるな。
だけど山に木を残すには、もうオラがやる他なかったんだ、許してくれよ。
熊に向って言う。おそらく熊は山だ。
どう自分に満足しようが、銭にならなければ結局その木が活きることはない。
どれだけ人間がバカな文明を築こうが、そのケツを自分が拭うかどうかの問題だ。
この腐らせるほど集めた木はどやすのや。蔓の一本も活かさないで何が山仕事だ。我の足元みろ。
そんなことを言いながら、今日はおもいっきりチェンソーアートを楽しんだ。
やっぱりものつくりはいい。清々する。
やまつくりは果てがない。一年二年じゃ、まったく終りが見えない。
そもそもやまつくるなんて考え方が狂ってるんじゃ?
そんなこと知らない知らない、考えるな、とにかくやれ、文句も言うな。
浄化だ浄化、これは浄化だ。