2022/06/20 21:28
山の帰り道、車に向かってキジが勇んだ。
相手が誰だろうと関係ないのは、オラも同じだ。
山でカモシカに二回遭遇した。
最初は目の前に突然現れて驚いたけど、二回目はカモシカのほうが驚いていた。
よく散歩しているようだ。
疲れると泣けるときがある。
たまに笑うときもある。
キっこ林業とはふざけた名前だ!
私は何をやっているんだろう?
フクロウの鳴き声に呼応してると、延々続くようで全く勝ち目はない。
そもそも鳥たちのような美しい声はでない。
日記をつけると、数日前の感動すら忘れていることに気が付く。
またそんなことすら忘れているだろう。
明日はチャグチャグ馬こだと、たまにかけたラジオが言った。
翌日、山に行ってからも頭の中で馬のことばかり考えていた。
何のためにこんな仕事をしてるんだ?と、引き返してチャグチャグ馬こを見に行った。
馬はほんとうにめごい。
一緒に暮らしたい。
暮らしたいで思うのは、竪穴式住居。
建てるとすれば”今風”に住むための縄文式住居だ。
新たな縄文を見つけたい。
立ち枯れて倒れた栗の木は、山がこれ以上分解できないぐらいカチカチだ。
それがほんのちょっとの面積にごろごろ転がっている。
家を建てるのに、木は一本も伐る必要がない。
食べるためなら、伐らないほうがいい。
拾って歩こう。
山菜や木の実が旬で美味しい。
花をぶらさげる木々が愛しい。
風に揺れる山が神々しい。
波の中にいるようだ。
うまく伐れたところは葉っぱと青空が見事に重なる。
うまくできなかったところは叫ぶほど悔しい。
今はそれが分かった。
一銭も稼がずに枝を拾っては切り続け、約2ヵ月が経とうとしている。
頭のほうはおかしくなりそうだ。
そんなときは、鼻歌を本気で唄うと楽になる。
拾い集めた枝は何になるか?それがわからない。
使ってくれという枝からの声が聞こえる。
枝の節々にある古い鉈痕から思い出と気合を感じる。
商品名は「私はまだ燃えたい」かな。
木のかけらを土のう袋に詰め込んだ「木のう袋」。
枝分かれした節のみを樹種ごとに袋に詰め込んだ「徳用キっこフック」。
小さく束ねた山桜、樹種ごとのチェンソー屑、無作為に編んだ蔓、縄文式便所、タバコ用笹フィルター、キの看板。
自分がこんなことをやってる間に世の中で何が起きた?
毎日見ていたあの山々はどうなった?
この怒りや憤りが灰になるまで、私は夢を持ち毎日楽しく生きよう。
今の現場は4年目で、どの木もひとまわり大きくなったと感じるのがうれしい。
焦りも急ぎもしないことを目標に、昼寝しながら唄を忘れずキっこ林業!
今まで現場を手伝ってくれたすべての人に感謝します。ありがとう。
ひとりじゃ本当に何もできなかったし、何もしなかったと思う。
工期が終わる前にはキっこストックあるから、みんなでお祝いしよ~ね。
20220620 りゅーま