2024/05/29 22:09
山々のほんの一部分が、山から木を運ぶという点で限りなく効率化された現代のやり方で皆伐または全伐されたとして、その木が100%に近く村や地域全体の人たちに還元されエネルギーや建てものなどにそのまま活かされたとすれば、山はほとんど伐らなくてもよいだろう。
現代林業、いや日本は今、山から伐っている木の10%も真には活していないように私には思える。
キは変幻自在の再生エネルギー、山は命の暮らすところだ。
もう次世代ぶん以上にまで伐りすぎてしまっていることは明らかで、その痛みが私たちに響いている。
だからこれからは、伐った木は100%活そう、という木リョクが必要になる。
木をみんなで100%活かせるようになった頃は、現代的な効率など考える意味もなくなって、近所の山から枯れ木や食べ物を拾い、たまに必要ぶんの木を伐るだけで生活の全てがこと足りるだろう。
山には、清らかな水と豊富な食べ物がある。
家にも薬にも燃料にもなる木や植物が育つ。
キの成長は、まるで自分と一緒ぐらいに成長しているように感じます。
土も、石も、草も、野生動物さえも、まるで一緒ぐらい成長しているようには感じません。
人は大昔から、木と仲良くしてきたのでしょう。
そして木のほうがよっぽど長生きですので、これからことは大木に伝えよう。
1000年の木は、1000歳の人が伝える木。
木々のチカラと、山々の生命力をもっとよく知ろう。
自然と人も、人と人も、もっと仲良くしよう。
一方通行でなく、バラバラでなく、お互いに助け合ってこれからを生きよう。
それぞれの生き方や性格や種族にもこだわらず、助け合いで生きる日だ。
こんな考えすら、どうだっていい。
その場にない人のどんな会話や名言より、目の前にいるキミのあくびのほうがよっぽど響くよ。